全日本同和会のあゆみ

明治4年8月、明治政府は大政官布告61号をもって、「えた非人等の称、廃され候条。自今、身分、職業とも平民同様足るべきこと」といわゆる「解放令」を出した。これによって徳川幕府政治によってつくられた、士農工商の身分制度を廃止することを宣言した。

「人間外の人間」として扱われてきた同和地区の人々をはじめ、心ある人々は、この解放令によって徳川三百年の差別の歴史に、終止符が打たれたものと信じて疑わなかった。しかし、残念なことに、この解放令は宣言のみにとどまり、実質的な解放を保障する具体的行政施策は講じられなかった。

その後しばらくして、自らの努力で同和地区を改善しようとする自主的な運動が、同和地区住民の間から起こった。同和問題の重要性・人権の重要性について、大政官布告というかたちで宣言し、啓発したことは評価できるとしても、具体的な施策がなかったことは、その後の解放運動のあり方に「対決と闘争」など、より厳しい道を開いたとも考えられる。

こうした体制の中で、解放運動は厳しい糾弾を伴い、この糾弾によって国民に恐怖心を増幅させていき、差別意識を強く温存させることになっていった。

大正11年3月3日、近畿・中国・九州・関東など、各地の被差別部落から、3,000人にも及ぶ代表者が参加し、「全国水平社創立大会」が京都市の岡崎公会堂において開催された。

「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と高らかに宣言し、全国水平社は創立された。徳川幕府によって部落の人々は、非人間的な差別を強いられてきた人間として生きる権利を奪われ、貧困に苦しめられてきた、対象地区の人々が抱いた差別からの解放という強い願いが、この創立大会において、実現できるという確信まで高まることができたと言える。

この創立大会における宣言、いわゆる水平社宣言は、正に人権宣言であり、日本における民主主義の発展史に、特筆すべき出来事となった。多くの先達の血の滲む努力と、厳しい差別を受けてきた人々の解放への強い願いの帰一したところにあると言える。

また、地方において人権に関する啓発・啓蒙が、全国的に進んできたことも、水平社創立の大きな力になったと言える。以後水平社は、各地に広がり、解放運動も徹底糾弾をはじめ、それぞれの運動体は、それぞれの時代背景の中で運動理念を掲げて、同和問題の早期完全解決を目指して運動を推進してきた。

ところが、昭和16年12月、太平洋戦争勃発により、昭和20年8月(1941~45)終戦を迎えるまでのこの間は、同和運動は停滞する。

同和運動が再燃したのは「部落解放全国委員会」(略称 解放委員会)の結成による。[昭和21年2月19日~30年(1946~55)]その後「解放委員会」は部落解放同盟」と名称を変えた。また、一部の人たちはこれを契機に、認識と理念の相違から「解放委員会」を脱退。柳井政雄(山口)、山本政夫(東京)、杉本信雄(兵庫)、土岡喜代一(広島)、森岡深太(高知)、井戸内正(島根)等が主事軸となり、自由民主党の支援を得て全日本同和会が結成されたのは、昭和35年5月10日(1960)東京・霞ヶ関 久保講堂に於いて、柳井政夫が初代会長に選ばれ、結成大会が開催された。

昭和35年11月政府の諮問機関の「同和対策審議会」、「同和対策協議会」に、全日本同和会 初代会長の柳井政雄氏、元顧問井戸内正氏、昭和53年には、故名誉会長松尾正信氏を委員として送り出し、同和対策の推進に貢献した。

当時、全日本同和会の目的は次の2つであった。
第1、同和問題は基本的人権を保障する日本国憲法と、民主政治の重要な課題として、幅広い国民運動によって、同和問題の根本的解決を図ること。
第2、階級闘争を指向する運動や教育に対応し、国民的課題として幅広く取り組む運動を積極的に展開する必要性があること。

したがって、全日本同和会綱領の中での目的は、「全国民の反省と自覚を求め、実践によって同和問題の完全解決のために自主的かつ積極的に運動する団体である」

同和問題の認識としては、「半封建的、前近代的な身分階層秩序が因習となり、これが心理差別を形成し、かつ実態的差別を生ぜしめ、この二者が相関関係となり、悪循環を繰り返し、差別を再生産しつつ現在に至ったもの」と考える。

ゆえに同和問題の解決は、このいずれにも偏重すべきではなく、これを一体的に捉え、基本的人権の完全なる保障を期するため運動を行うものであるとし、いわる心理的問題と実態的問題の解消には車の両輪の如く推進しなければならないと主張してきたのである。

また我々は、同和問題の歴史的な推進過程の中で、差別糾弾闘争は国民に恐怖心を与え、差別意識を温存させる結果を招来させており、このような観点から同和運動は「対決と闘争」中心のみでは、完全解決を期することは出来ないという教訓を学んだ。

この教訓から我々は、「対話と協調」により、国民の理解と合意を得る。今日まで『子らにはさせまいこの思い』親が子を思う悲願に込める思いを、全日本同和会の同和運動は、行政の責任として、また国民的課題として、多くの国民の理解と認識のもとに強力に推進してきた。

ところが当時、同和運動において同和に名を借りたイデオロギー闘争を進めるものもあり、全日本同和会はこうした革命的無秩序な運動とは厳然と一線を隔し、法治国家の国民として、常に中立公正を旨として社会秩序を重んじ、人間愛に徹し、真に同和問題の解決を目指す運動を展開してきた。

同和問題をイデオロギーや特定団体の主義主張に左右させてはならない。この問題は「同和対策審議会答申」にも明言しているように人類普遍の原理である、人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権に関わる問題であるとし、ゆえに「同和対策事業特別措置法」にも明言しているように、同和対策事業は対象地域の住民の社会的、経済的地位の向上を不等に阻む諸要因を解消することにあり、全ての国民はこの事業の本旨を理解し、相互に基本的人権を尊重し、この事業の推進に協力を求めている。

また、我々全日本同和会は、会員一人ひとりの自覚とこの問題の本質を正しく理解、認識することによって、秩序ある運動を展開することが問題の早期への方途でもある。

21世紀は「人権の世紀」と言われている。わが国が国際社会の一員として、人権に関する国際的な規約や条約に加盟し、世界各国との連携、強力のもとに、あらゆる差別の解消を目指す。国際社会にあって、その役割を積極的に果たしていくことは、21世紀におけるわが国の極めて重大な責務である。

同和問題は我が国固有の社会問題であり、極めて深刻かつ重大な人権問題であることは言い尽くされているが、しかしながら同和問題は自分には関係ないという傍観者的考え方も後をたっていない現実がある。ここに差別の痛みを受けた者でなければ、差別の痛みはわからないという根幹がある。同和問題における差別が、他の差別と本質的に違うところは、政治によってつくられたということである。

徳川幕府は幕藩体制を維持し、より強固にするために身分階層構造つまり身分制度をつくり、その政治によってつくられた身分階層構造を基本において当時、国の施策を進め、社会の全ての体制もその身分階層構造の上につくられた。そして、人々の意識の中にも身分階層が深く浸透し、部落差別が形成されてきた。ゆえに同和問題はつくられた差別であり、生まれによる差別であるということが言える。そこに封建的身分性社会に根ざした同和問題と、自由経済社会に根ざした人権問題とは根本的に本質を異にすると考える理由がある。

この問題は、貧富に関係なく差別されるという点では階級差別でもない。また、宗教や能力の違いによる差別でもない。人種、民族による差別でもない。政治によって人為的につくられた差別である。この同和問題は行政の責務として、国民一人ひとりの課題として、完全解決が求められる。

この同和問題解決の一環として、昭和40年に出された「同和対策審議会答申」は、「同和問題の解決は国の責務であると同時に、国民的課題である」と指摘している。この精神に則って、国や地方公共団体は勿論のこと、国民一人ひとりが、同和問題をその本質から捉え、自分自身の課題としてその解決に向けた努力をすることが強く求められてきたが、人権を考えるとき、自分自身がどれほど同和問題を自分自身の課題として捉え、その解決に向かって努力しているのか、まず自分の生き方を問うことを忘れてはならない。

同和問題は江戸時代に発しているが、決して古い話ではなく、徳川幕藩政治でつくられた制度が、今日なお人々の心の奥深いところまで食入って、同和地区の人々の生命まで奪ってきている。

昭和40年に出された「同和対策審議会答申」。それに基づいて制定された「同和対策特別措置法」、以後法令の改正、答申、意見などが相次いで出され、地方によって多少の較差はあったが、関係機関、そして多くの人々の努力によって、同和問題の完全解決に向けた努力が推進されてきた。

物的事業は概ね完了したという同和地区も多く、一部の市町村を除いて現行法が最終法であることに異存はないものとしており、残事業を抱えている地方公共団体は、速やかに事業を推進し、一刻も早く物的事業を完了させ、心理的差別の解消を図るための教育、啓発を推進することが今後の重大な課題であると言われている。

地対財特法が平成14年3月末日をもって期限失効となり、「地域改善対策事業に関する特別措置法」が終了し、対策事業は一般施策へと移行した。しかしながら、これによって同和問題が解決したというわけではない。平成14年度以降については特別措置法としての同和対策事業は法令上の根拠はなくなるが、いまだ課題は山積している。今後この課題については、通常施策の中で優先的に対応しなければならない。法令上の根拠がないからといって、同和問題を放置しておくということがあってはならないし、そのような姿勢を許してはならない。

また、平成8年12月、「人権擁護施策推進法」が成立し、この法令に基づいて「人権擁護推進審議会」が設置され、平成11年7月「人権尊重の理念に関する国民的相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について」(答申)が出された。

これにより「人権は人間の尊厳に基づく権利であって、いかなる関係においても尊重されるべきものである」として「人権教育・啓発に関する施策を推進する責務を有する国をはじめとして、地方公共団体、学校等の人権教育・啓発の実施にあたるそれぞれの団体が相互に連体、協力して、人権教育・啓発を総合的かつ効果的に推進していくことが極めて重要である」としている。当然の内容であり、こうした主張は全日本同和会が当初より主張し続けていることである。

今日、人権問題は、民族、人種、男女、障害者、高齢者、同和問題等、極めて多岐にわたりそれぞれには固有の問題と課題がある。しかしながら、政治によってつくられたのは同和問題だけである。人権問題を学習する場合、それぞれがもつ固有の問題と課題に合わせて、同和問題の早期解決を内容とする教育・啓発を進めることが是非とも必要である。幅広く学習することによって、同和問題をより深く理解し、差別根絶への取り組みを進めることが重要である。そして、人権問題の取り組みの根本は人間愛にあり、人を慈しむ心が人間の社会を支えるのである。

我々全日本同和会の基本理念は、今後においてもあくまで偏狭なイデオロギーの思想ではなく、人間愛に支えられたヒューマニズムの思想であり、中立公正で穏健な活動を展開していく。

我が全日本同和会は常に強い信念と、高い誇りを持って、組織人として節度ある行動により、一致団結して運動を推進し、全国民の理解と指示を得て、目的の達成を期する。

具体的には、
(1) 幅広い国民運動を目指す。
(2) 運動と行政、教育は三位一体の形で問題の解決に取り組むべきで、基本的に行政は敵という立場は取らない。
(3) 差別に対しては、糾弾を拒否し、対話と協調を重視する。特に啓発と教育を重視して差別意識払拭に努力する。
(4) 自由民主党とは友好関係を維持し、党を通じて現政府に施策の具現を迫る。